3月19日 旅のはじまり
本日は第377回宮城県議会の閉会日。新年度予算や補正予算をはじめ重要な議案、条例、意見書、誓願などを審議する濃密な定例会となりました。
私も、所属する環境福祉委員会の質疑において、新型コロナワクチン接種における接種記録の管理システム導入への取り組みや、腎症の重症化予防に向けた治療中断者への勧奨について
。医療的ケアの必要な子供たちへの救急時対策についてや、動物愛護センターにおける殺処分ゼロへの取り組み等々、執行部と議論して参りました。
新年度が県民の皆様にとって、希望の灯火が見出だせる良き年となるようしっかり取り組んでいきます。
最終日の今日は、齋藤副議長の議員辞職に伴う副議長選挙が行われ、投票の結果県政史上はじめての女性副議長として、外崎浩子さんが選出されました!
そして私は一人静かに新幹線で秋田へ向かいます。明日から男鹿市、能代市を徹底的に回るのだ❗️
写真は閉会後あいさつに来られた村井知事と会派の四人で。
3月11日 復興 10年
東日本大震災から今日で10年になりました。改めまして亡くなられた皆様に哀悼の意を表しますとともに、被災された全ての皆様にお見舞いを申し上げます。
今日はあの震災津波で犠牲となられた、故菊地孝四女川町議のご自宅跡地に伺い、県会議員団で献花・黙祷し追悼させて頂きました。
最後まで町民の安心安全と町の発展に尽くしぬいた、公明の偉大な先輩を私たちは今も誇りに思います。
午後からは「がんばろう石巻」の看板がある石巻の南浜公園へ。製作者の黒澤健一さんが主催する追悼行事に参加しました。
14時46分丁度に黙祷を捧げ、震災の犠牲となられた皆様を心から悼むとともに、バルーンリリースで想いを青空へ放ちました。
この10年に賜りました物心両面のご支援に対しまして、改めて忠心より厚く御礼申し上げます。そして引き続き見守って頂ければ幸いです。
今日からが新たな「人間の復興」の10年がはじまります。深く静かに、けれども一歩一歩着実に戦いを進めていきたいと思っています。
3月6日 次の10年へ
今日は福島県郡山市をメイン会場として「復興創生大会」を開催。
宮城会場と岩手会場をサブ会場に、すべての国会議員と47都道府県本部代表をオンラインで結び、この10年を一つの区切りとしながらも、真の復興を目指した新たな出発を期す大会とすることができました。
山口那津男党代表も党本部からオンラインでご挨拶頂いたほか、井上党副代表から東北を代表してのご挨拶を頂き、細田釜石市議、櫻田石巻市議、志賀南相馬市議の3名より、10年前を思い起こすような壮絶なる活動報告を聞かせて頂きました。
また被災3県の県本部代表からは、この10年に頂いた数多くのご支援に感謝を伝えるご挨拶を申し上げ、最後に「人間の復興」宣言を読み上げて終了致しました。
宣言には「人間の復興」を目指すのは、心に負った深い傷は10年の歳月でも癒すことはできないからであり、今も故郷を離れ不自由な生活を送る多くの方がいるからであり、一人孤独に希望を忘れたあの人に笑顔を取り戻してもらうためであり、親を亡くした子供たちが成長し成人を迎える大切な10年だからであり、風評と風化という二つの風に抗い、震災の教訓を後世に伝えきっていくためである。
そう記されてあります。
私たち公明党の揺るぎない使命として、人間の復興を成し遂げて参る決意です。
3月2日 想いを 紡ぐ
東日本大震災から10年の節目を迎えるにあたり、公明党宮城県本部内に「10年委員会」
を設置し、様々な活動を行って参りました。
その活動の一環として編纂してきた10年誌
、 ~人間の復興、そして未来へ~ が本日刷り上がり、村井知事へ贈呈して参りました。
この記録誌は10年委員会の横山昇委員長(県議)を中心に、議員、職員、記者の全11名からなる委員が自ら取材や執筆に携わり、全体の構成や写真のチョイスまで手づくりで仕上げた入魂の作品です。
この10年を俯瞰しながら総括的に復興の現在地を探り、これから歩んでいくべき東北の進路を論じあった、井上義久党副代表と政府の復興構想会議で議長を務めた五百旗頭氏との対談にはじまり、10年間の取り組みや関係者からの証言、有識者からの特別寄稿等々、読みごたえある内容となっています。
ここに綴られたたくさんの言葉やエッセンスが、各地域の防災、減災の一助になることができれば幸甚です。
2月27日 無題
今日は朝から佐々木雅文氏(党青年局次長)と共に、福島県に伺い視察調査と懇談会。
井上義久副代表とも合流した双葉町の原子力災害伝承館では、福島第一原発がどのようにして事故に至り、どれ程の放射能被害が広域的に影響を与えたのかを、膨大な資料や映像、証言ビデオ等を駆使して余すことなく伝えている施設でした。
中間貯蔵施設も視察させて頂きましたが、汚染土等を詰めたフレコンパック約1万4千袋を搬入し、分別と選別後地中に埋設したり焼却処理をする広大な施設群でした。
楢葉町で開いて頂いた住民の方々との懇談会では、富岡町、広野町からもご参加くださいました。原発事故後見知らぬ土地への避難を余儀なくされ、長い避難生活を経て何とか地元に戻って来たものの、病院、学校、商業施設、ガソリンスタンド等が不足して日常生活に支障を来していること。若い方々が町に戻らずこれからの故郷が心配であること。原発の処理水をいかにして解決していくのか等、沢山のご指摘や質問をお受け致しました。
すぐに解決できる特効薬は無いのかもしれませんが、自分なりに正面から向き合って処方箋を書かねばと思いました。
最後にJビレッジを視察し福島市へ移動です
2月23日 初夏と真冬
2日間に渡り福島県に伺っております。昨日は仙台から高速バスで会津若松市へ移動し、そこから会津美里町、喜多方市、北塩原村の首長さんと意見交換。コロナワクチン接種の体制についてや、4月からはじまる東北ディスティネーションキャンペーンの動向。加えて除雪対策と雪害などについてお話を伺いました。
今日は郡山市、白河市を転戦しながら地域の集いで5回のご挨拶を申し上げるとともに、今井県代表、山根郡山市議とご一緒に、間もなく完成する堰の現場や防災重点ため池を視察致しました。
昨日は20度近い暖かさでしたが、一転今日はぐっと冷え込んだ1日となり体がついていけません。
締め括りはバスではなく在来線で仙台へ帰ります。新幹線の有り難さが身に染みる駅のホームです。
2月21日 10年の時
今日は井上義久党副代表と若松かねしげ参議院議員に同行し、気仙沼、南三陸、石巻、東松島を回って復興の現状を視察するとともに、各市長さんから今後の課題などを伺って参りました。
気仙沼では昨日完成したばかりの気仙沼内湾横断橋(通称 かなえ大橋)のウォーキング式典に参加。この日を待ち望んでいた市民の皆さんや
関係者とご一緒に、美しい内湾と外洋を見渡しながら歩かせて頂きました。この橋が完成したことで三陸自動車道はほぼ全線で開通したことになり、観光や物流はもちろん命を守る大動脈としての大きな役割を担うことになります。
その後南三陸町のさんさん商店街や防災庁舎を一体的に整備した復興祈念公園。石巻市南浜に整備している大規模な復興公園。被災した東松島の旧JR野蒜駅を活用した伝承館等を視察致しました。
あれほどまでに壊滅的被害を受けた地域が、被災された皆さんの懸命なご努力と関係機関のご尽力、そして国内外からの真心のご支援によって甦り、次の時代を見据えたまちづくりを模索していることに感無量です。
そして復興の舞台はハード整備からソフト対策にその軸足を移していくことに。公明党が常に志向してきた「人間の復興」への新たな10年がいよいよはじまります。
2月16日 前を向いて
この度の地震によって被害を受けた皆様に、改めて心よりお見舞い申し上げます。
今日は宮城県南部に位置する山元町を回り、地震被害を受けた皆様をお見舞いしながら課題を探しました。
山元町やお隣の亘理町特産品である苺のビニールハウスに大きな被害が出ており、現場を視察させて頂きましたが、地震の揺れで苺どうしが擦れてキズがついたり凹みができたりして、売り物にならなくなった状況が分かりました。
生食では出荷できないため安い加工品としてしか流通できないとのことで、収益に大きな影響が出ると思われます。
施設の被害を含め支援策を講じる必要があると感じました。
一般家庭にも断水が続く状況ですので、サポートに万全を期したいと思います。
2月13日 知恵は現場に
昨日からの2日間、山形県寒河江市、朝日町、西川町、天童市を回り、首長さんとの意見交換をさせて頂いたり、関係各所をご挨拶に伺ったりと充実の活動でした。
現場に知恵ありを痛感した第1は、朝日町の豊かな緑に囲まれた山中の澄んだ空気に着目して、「空気神社」なる宗教とは関係ないモニュメントを設置し、観光誘客に取り組んでいることです。実際「神社」で採取した空気をビニール袋に詰めてグッズ化しており、私も戴いて空気を吸ってみましたが、何やら深緑の爽やかな気分に浸りました(笑)。
第2は社会福祉法人つるかめさんで教えて頂いた介護×観光の取り組みです。要介護であっても旅を楽しみたいというニーズを叶えるため、(一社)日本介護旅行サポーターズ協会を設立し、介護職の方々に旅行中の介助の仕方を研修したり、実際の添乗訓練を提供する独自プログラムを構築。今月山形空港から富士山を周遊して戻ってくるチャーター便を募集したところ、二時間で満席になったとのことでした。
既成の概念を破る発想は現場にあり。学びの多い山形の旅でした。
2月11日 宿題多し
2月7日 会うことの意味
今日は朝から県南の山元町、亘理町、名取市でご挨拶回りさせて頂きました。
亘理町では東日本大震災の津波で壊滅的被害を受け、そこからイチゴ団地を奇跡的に復活させた森 栄吉さん(いちご団地管理組合長)と再会することができました。組合104戸を束ねるリーダーとして陣頭指揮を執られています。
ウルトラマンが暮らすお宅では、公明党のキャラクター「コメ助」君の手づくりマスクを頂戴し、元気を注入してもらいました!
また私が県議会に初挑戦した平成15年の選挙で、女子アナの一員としてお世話になった方とも久しぶりにお会いでき、一瞬で39歳に戻ることができました。(笑)
名取市では閖上でご商売をされていた功労の大先輩に激励を頂き、お陰様で充実の活動ができました。お世話になった皆さまに心から御礼申し上げます。
2月5日 202センチ
2月2日 色々てんこ盛り
1月26日 一大プロジェクト
1月23日 逞しき青森
今日は青森県の三沢市、十和田市に伺いました。三沢ではわが党の春日市議が推進した子育て支援施設を視察。市の直営でこれだけの施設を運営していることに驚きました。その後小檜山市長のご自宅を訪ね、基地を抱える街の課題や展望、さらにはコロナワクチンの接種に関する取り組みなど意見を交わしました。
そのあと十和田市へ移動して明日投票を迎える十和田市長選挙の応援演説に。公明党が推薦し4期目に挑戦されている小山田候補と合流しマイクを握りました。
十和田湖や奥入瀬渓流など一級品の資源を擁する十和田市が、青森県はもとより東北のリーディングシティに成りうることを訴え、その旗振り役に小山田候補を! と申し上げました。
明日は青森市、八戸市を回ります!
1月18日 雪と戦っている
今日は朝から山形県の置賜地方を転戦。小国町、白鷹町、南陽市、米沢市、長井市の首長さんを訪問し、様々な意見交換をさせて頂きました。
中でも話題の中心となったのはコロナワクチン接種に関する、自治体の取り組みの困難さについてでした。国から詳細な内容が示されてはいない中で、クーポンの準備や住民への意向確認作業、接種場所と医療従事者のの手配、激しい副反応が出たさいの救急体制の構築等々、基礎自治体が担う作業は膨大な量になることが予想されます。
国や県から不急の職員を市町村に派遣するなどして、マンパワーで支えることが必要と感じました。
赤湯駅の駐車場で長井市の赤間市議の車中、宮城県本部のオンライン議員総会で挨拶。福島経由の新幹線で仙台へ帰ります。
1月17日 選ばれる山形へ
1月14日 現場を探る
今日は県南4人の首長さんを訪問して、自治体が抱える様々な課題について意見交換させて頂きました。
コロナ対策の最前線で指揮を執る首長は、困難な問題に直面しつつリーダーシップを発揮しておられます。私たち公明党としても力を合わせて、この難局を乗り越えていかなければなりません。
特にワクチン接種が近づいているなか、迅速でスムーズな接種が実施できるよう、必要な人員や資機材の確保に加え、相談体制の拡充や副反応及び救急時の搬送体制支援等々、広域的に自治体を支える準備を急ぐ必要があると感じました。全力で取り組みます!
村上英人蔵王町長(右から二人目)は私の高校の先輩で、いつも頼りにしています。佐々木雅文青年局次長と松崎蔵王町議も一緒です。
1月1日 波動
2021年がスタートいたしました。皆さまには良い元日をお迎えのこととお慶び申し上げます。
今日は朝から山形市内3ヶ所の新年街頭演説に伺い、佐々木雅文予定候補と一緒に1年の出発にあたり決意を表明。菊池県代表、折原、武田、松田の山形市議にお世話になりました。
私からは昨年12月に取りまとめた経済対策中、①感染性拡大防止、②ポストコロナを見据えた経済構造の転換支援、③防災、減災と国土強靭化の3つの柱についてご紹介すると共に、東北が人口減少と高齢化、地域や産業の担い手不足を克服し、持続可能なモデル地区になるための処方箋を描いて参りたい旨を訴えました。
寒い中をお集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました!
今年のテーマは波動としました。勝利への執念と行動が全ての方に伝わるように、持てる力を振り絞って走り抜いて参ります。
皆さまのご指導とお力添えを賜りますよう、この一年何卒よろしくお願いいたします。