私が議員になる以前からライフワークとして行っている「ネパール支援」をここでご紹介いたします。
ネパールとは
国名 | ネパール連邦民主共和国 |
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首都 | カトマンズ |
公用語 | ネパール語 |
面積 | 147,181km² |
主な産業 | 農業、観光(ヒマラヤ登山) |
国旗
国章
ネパール訪問レポート 2015年 平成27年8月11日〜14日
震災後のネパールを県議会議員として訪問視察ネパール大統領と会見。
今回のネパール訪問は、4月に発生した巨大地震の被災状況を調査し、今後の支援についての取り組み方を探ると共に、東日本大震災での教訓や知見をネパール側に伝え、復旧・復興と生活再建支援をよりスムーズに展開していくための意見交換が目的でした。
実質3泊5日の強行スケジュールではありましたが、ヤダブ大統領をはじめとして3人の大臣と面会し、政策面で踏み込んだ意見交換をしたことに加え、村井嘉浩県知事からコイララ首相に宛てた親書を預かり、首相秘書官を通じて届ける事ができました。
また3ヶ所のテント村を訪れ、そこで暮らす被災者の方々に直接話しを伺い、避難生活や支援の現状とこれからの課題について、自身の目で確かめてくることができました。私は過去2回ネパールを訪れ、学校の建設や日本の子ども達との交流事業を行ってきましたが、貧しい中にも瞳がキラキラと輝く子ども達の笑顔に魅せられて、「ネパールの子供達を守る会」を立ち上げ代表を務めています。
これからもネパールの人々が自立して歩めるようになる為に、議員として行政やNGO、NPO等と連携しながら支援を続けていこうと考えています。同じアジアの仲間として互いの文化と歴史を尊重しながら、より良い友好の枠を深めていきたいと思います。
1.首都カトマンズの現状遅々として進まない復旧・復興
実際に訪問したネパールの首都カトマンズの被害状況については、日本での報道から想像していたものとは異なり、比較的、健全性が保たれていました。カトマンズのテント村で生活しているのは、住居が全壊したためカトマンズに設けられたテント村へ集まってきた、郡部で生活をされていた人達です。日本のような仮設住宅が無いため、各国から送られたテントが生活の場となっています。
10畳程のテント内で暮らす女性に「何人で生活していますか?」と聞くと「3家族24人です」と答えられたのに大変驚きました。飲み水や食料も不足している中で、こうしたテント生活の長期化は命にかかわる問題であり、仮設住居や復興住宅の建設が急務である事がわかりました。
政府が被災世帯への経済支援を表明したものの、その実施については、行政組織のぜい弱さや、り災証明の難しさなどから課題も多く、その時期や金額についても明確になってはおりません。
世界中からの登山客が激減し、貴重な収入源となっていた観光分野が壊滅的に落ち込んでいる中で、国民の生活を直接的に支える枠組みと、雇用の場を作り自立を促す事業が必須であると考えています。
ネパール訪問行程(現地日時)
8月11日 | 午後2時 ネパール着。 午後 カトマンズ市内被災状況調査。 夕方 ポウデル青少年・スポーツ大臣、 国立トリブバン大学シトラ教授面会。 |
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8月12日 | 午前 カトマンズ市内テント村調査。 ネパール国会クマル農業委員長と会見。 午後 アディカリ福祉大臣と会見。 首相官邸でゴータム秘書官と面会し、 村井県知事の親書を渡す。 |
8月13日 | 午前 ヤクゥ村のテント村及び被害現状の視察・調査。 午後 ヤダブ大統領と会見。 バグマティ学校訪問。 生徒に対し「戦後日本の復興」をテーマに講演。 |
8月14日 | 午前 パンディ外務大臣と会見。 午後 カトマンズ空港発帰路へ。 |
2.大統領をはじめ政府要人と会談・意見交換
カトマンズ市内の大統領官邸を訪問しヤダブ大統領と会見致しました。
私からはネパール大地震に対してお見舞いを申し上げると共に、出来得る限りの復興支援について申し上げました。大統領からは、訪問に対する謝意が示され、今般の震災に対して日本から多大な支援が行われていることに関して、感謝の言葉を頂きました。
その後バハドゥル・パンディ外務大臣、カザラジ・アディカリ福祉大臣、プレソタム・ポウデル青少年・スポーツ大臣と会見を行い、被災地と被災者を支えるために宮城県がこの4年半行ってきた事業についてお伝えし意見を交わして参りました。
3.ネパール訪問で感じた、民間支援の必要性
今年3月に仙台で開かれた第3回国連世界防災会議では、今後15年に亘り国際社会が取り組むべき方針として「仙台行動枠組」が採決されました。ここでは先進国が途上国の防災力向上と復興に関して財政的にも人的にも支えていく旨が示されましたが、私はこれによって一層「防災のグローバル化」を進展させなければいけないと思います。
この仙台行動枠組の方針を具体的な行動の上に表わし、官民挙げた支援のプラットホームを構築していくことこそ急務だと思っています。
日本のODAによる道路や橋の復旧工事、さらには学校や病院の再建といったインフラ整備には、大きな感謝が寄せられていました。と同時に被災者への生活再建支援やメンタルケアといった、東日本大震災での教訓を生かした民生支援について、民間組織の長期に亘る現地での活動を支えていく、より骨太の支援策が必要だと痛感させられました。
ネパールから子ども達が被災地交流に来てくれました 2011年 平成23年7月21日
私は議員になる以前からネパール支援に取り組んでいますが、この日ネパールの首都カトマンズにあるバグマティ校の生徒5人が来仙し、被災地の学生や高齢者との支援交流を行いました。
最初にクラーク記念国際高等学校の仙台キャンパスを訪問。英語を使っての交流行事が賑やかにに行われ、折り紙や習字を仙台の学生が教えれば、ネパールの子ども達は民族舞踊を披露するなど、とても活発な交流会となりました。
次に伺ったのは高齢者用のケアハウス。子ども達のかわいい踊りに利用者の皆さんも終始笑顔で、用意していたプレゼントを楽しそうに渡しておられました。
交流行事の合間に沿岸部の被災地を見学した一行は、「一日も早い復興を」と語るとともに、宮城県とはこれからも交流を続け、お互いの理解と友情を深めたいと語っていました。
ネパールの友人と再会 2010年 平成22年9月4日
ネパールにはこれまで2度訪問し、小学校の建設と開校事業や教育機関の視察をしたり、カトマンズ市長と会談し相互の交流を 話し合ったりと、宮城県とネパール国の交流を深めるため様々な活動を行ってきました。
この日石巻専修大学を会場に行われた日本経営学会の会合に、過去に一度ネパールに同行してくれたビシュワ・ラズ・カンデル君 が参加するということで、仲間とともに石巻でビシュワと再会しました。
ビシュワ君は現在、神奈川大学と杏林大学の非常勤講師として教壇に立つ英才で、今回の学会での発表内容は、「南アジア型コーポレート・ガバナンスの現状と問題点」というテーマで、彼の研究題材であるー新たな企業システムの探求ーに関するものだったようです。
この日ビシュワ君と語り合ったのは、今後ネパールの国会・地方議員と私たち日本の地方議員との交流を企画し、お互いの理解と連携を深めていこうというテーマでした。ぜひ来年度以降に実現し、参加者を募ってネパールを訪問したいと考えています。
中学生にネパール支援を話す 2008年 平成20年11月13日
私が代表を務めている「ネパールの子供達をまもる会」は、01年以降活動を続けておりますが、この日は私達の会について調べたいと、石巻市立河南西中学校の総合学習として、3年生の男子生徒さん4人がお見えになりました。
3年生の学年テーマが「世界に目を向けよう~地球市民としての生き方を考える~」だそうで、このテーマをもとに学年で20グループに分かれて、NPO法人や留学生、学術機関などを訪問し学ぶという取り組みだと聞きました。
会の事務局長である早坂宅にてネパールの写真をお見せしながら、文化や風習の違い、学校での教育がどんな実状なのかを説明。その後千葉、及川、高橋、平塚の4人の中学生から、熱心な質問がありました。彼らの学習に少しでも役に立てれば嬉しいです。
ネパールから領収書が届きました 2006年 平成18年7月27日
私が以前から支援を続けてきたネパール国のキボウ・インターナショナル・スクールに、党員のの皆さんにもご協力を頂きながら、書き損じハガキを集めて資金に替えて送金をしましたが、この度キボウ・スクールのサハナ・シュレスタ校長からお礼状と領収書が届きました。
ネパールは国情が不安定で、各地で暴動や武装デモが頻発しており、学校の経営にも多大な影響が出ていたことから、この資金の応援は非常に有用なものとなったようです。
真心からご提供頂きました書き損じハガキを元に得られた貴重な資金593,548円は、学校設備の充実や教員の人件費、貧しい子ども達への学費の補助などに充てられるとのことです。
ご支援下さった皆さん大変にありがとうございました。
ネパールから10名の交流団を招きました 2005年 平成17年8月8〜10日
私が以前から支援を続けてきたネパール国のキボウ・インターナショナル・スクールに、党員のの皆さんにもご協力を頂きながら、書き損じハガキを集めて資金に替えて送金をしましたが、この度キボウ・スクールのサハナ・シュレスタ校長からお礼状と領収書が届きました。
ネパールは国情が不安定で、各地で暴動や武装デモが頻発しており、学校の経営にも多大な影響が出ていたことから、この資金の応援は非常に有用なものとなったようです。
真心からご提供頂きました書き損じハガキを元に得られた貴重な資金593,548円は、学校設備の充実や教員の人件費、貧しい子ども達への学費の補助などに充てられるとのことです。
ご支援下さった皆さん大変にありがとうございました。
ネパールから来日したメンバーを歓迎する会に参加 2005年 平成17年3月7日
ネパールの首都カトマンズ市から訪日した4人を歓迎し、交流を深める親睦会に参加いたしました。
私は過去2回に渡ってネパールを訪問し、これまで親交を暖めて参りました。特に2001年5月に書き損じハガキ回収によって、同国の中部ダディン郡に小学校を寄贈し、ネパールへの教育支援を行ってきた関係で、未来を担う子供達の教育については、現在も「ネパールの子供達をまもる会」を主宰し、活動を継続しております。
今回来日したメンバーは、寄贈した学校を運営・管理しているサハナ・シュレスタさんはじめ、私が訪問した折に現地で大変お世話になった方々で、1年2ヶ月ぶりの再会となりました。ネパールの国情は国王と反権力が衝突し、国軍が市街地を包囲するという緊張状態が続いていますが、メンバーはそうした環境に負けず明るく頑張っていました。
早い段階でネパールからの子供達を宮城に受け入れ、教育交流事業を行いたいと思っており、私のライフワークとして教育交流、教育支援をこれからも推進していこうと思っています。
自作の歌を披露してくれたメンバー
右からナビン・マナンダール君、バスネットさん、サハナ・シュレスタさん
ネパール・カトマンズ市の国際関係部長、シャンカール・カンデル氏を招聘
ジャスコ利府店佐藤店長
(右から2人目)から文具類
が送られた
カンデル氏(左側)と
弟のビシュワ君が茶道に挑戦
私が代表を務めているボランティア団体「ネパールの子供達をまもる会」では、南アジア会議出席のため来日していたカトマンズ市の国際関係部長である、シャンカール・ラズ・カンデル氏を宮城県に招きました。
11日はジャスコ利府店を訪問し、同店が実施しているイエローレシート事業で提供された文具類の贈呈式に出席。佐藤店長さんと懇談の一時を持ちました。また茶道の師範である安田先生宅を訪れ、和菓子に緑茶という日本古来のおもてなしを受けました。
さらに12日には県議会の石橋副議長と白石県教育長を表敬訪問し、経済・文化・教育等多方面に渡る意見交換をして頂くことができました。実は私と「まもる会」事務局長の早坂裕信氏が今年1月にカトマンズ市を訪れた際に、当時のスタピット市長とカンデル氏に会見。席上双方の子供達を交流させるプランを提案したところ、両氏からは共感と賛同の答があり、早い時期に実現する方向で検討に入ろうという事になり、早速浅野宮城県知事宛の交流を提案する親書をお預かりして帰国。知事も早速返書を送って下さり交流への取り組みが始まっていたのです。
今回の来県中カンデル氏と具体的な交流プログラムについて打ち合わせを行いましたが、
①時期は来年5月~6月
②人数は5人程度
③期間は1週間
④内容として学校での体験受業や交換会、ホームステイなどを実施
石橋副議長と親しく懇談
石橋副議長室でまもる会
メンバーと記念写真
という事を基本的な合意事項として、後はカトマンズ市の予算措置の正式決定を待つ事になりました。
今後お互いの子供達が交流を深め、国籍や宗教そして文化の違いを乗り越えて、世界に平和のために貢献する人材を輩出したいと願うものです。
1月11日から18日までネパールを訪問してきました
スタピット市長と会見し
教育交流の展望を語り合
いました
私のネパール訪問は01年11月以来2度目です。今回の訪ネの目的はカトマンズ市長と会見し、同市の子供たちを宮城県に派遣するという内容の親書を預かり、教育交流の道筋をつくるというものでした。スタピット市長の親書には「21世紀を平和と繁栄の時代とするために、子供たちが異なった文化や歴史に触れることが肝要です。我が市の子供たちに貴県へ派遣の機会を与えて頂ければ、貴重な経験をすることが出来ることでしょう」とありました。
浅野知事もこの提案を喜ばれ早速返事をお出しすることになりましたので、近い将来教育交流が実現しそうです。また小学校2校を訪問し校長先生や教員の方と意見交換をしたり、カトマンズ市のカンデル国際協力局長とも会見し、有意義なネパール訪問となりました。
私のライフワークとして取り組んできたネパールへの教育交流が、次のステップへと踏み出すことになり大変に嬉しく思っています。尚「ネパールの子供たちをまもる会」という市民活動も行っておりますので、興味のある方は是非仲間に加わってください。 ナマステ!
教室へ足を運び
受業の様子を見学
ナガルコットから
ヒマラヤ山脈が見えた!
1月22日浅野知事へ
親書を手渡す
ネパール訪問 2004年 平成16年1月
近い内に新しい庁舎へ移る予定とか、今はかなり手狭だ
カトマンズのスタピット市長からの親書
カトマンズ市の国際協力局長シャンカール・カンデル氏と
低学年のクラスでは数字の読み方を練習している
スタピット市長にお土産の鳴子こけしを渡す
観光客を相手にお土産を売る少女達、屈託のない笑顔が可愛い
視察した学校では校庭で補習授業が行われていた
訪問した小学校のサハナ理事長(左)とジョシ校長先生 カトマンズの市民
市場では米や野菜が賑やかに売られている
こんな車の中に10人以上乗せて走っている
古都バクタプールは街全体が世界遺産に登録されている
みんな一生懸命勉強に励んでいる
ネパールに4人しかいない脳外科医のシャルマ氏と対談
標高2000㍍のナガルコットからは美しいヒマラヤが見えた
カトマンズ市のスタピット市長から親書を預かる
学校へ通わずにこうして親の仕事を手伝う子も多い
カトマンズの街並み
田舎町で見かけた子供が「ナマステ」と声をかけてくる
学校を寄贈したダディン郡の風景
暮らしは豊かではないが子供の笑顔は実に屈託がない
日本・ネパール写真展「子ども写真文化サミット」に出席 2003年 平成15年9月12日
NPS代表の小阪和則氏(左)
と川村良子さん(右)
この写真展はNPS(ノート・ペンシル・サポーター)が主催し、(社)日本写真協会とネパール大使館の後援で行われているものです。
ネパールの小学生と東京の小学生達に使い捨てカメラを渡し、普段の家庭や学校での生活ぶりをカメラに収めてもらい、文化や生活の違いを子供たちの眼を通して捉えるという、ユニークな企画です。文化や習慣の違いを認め合い、世界に友情を広げていける機会を設けていくことは大変意味のある事業でしょう。
私は「ネパールの子供たちをまもる会」の代表をしておりますが、現在この展示会を仙台で開催すべく準備中です。
ネパール訪問 2001年 平成13年11月
「郊外の町にて」
「小学校外観」
「小学校中庭」
「教室にて授業を受ける生徒さん達」
「教室にて」
「教室にて」2
「教室にて」3
「小学校で生徒さん達と記念撮影」