2013年 平成25年
12月22日 深い〜対談
若松かねしげ参議院議員と、東北大学の災害科学国際研究所長平川新先生が対談。私はコーディネート役を務めました。
平川先生は歴史がご専門ですが、今回の震災を未来の教訓にするため、社会に役立つ実践的防災の重要性を主張されました。
さらに被災地では新たなリーダーが生まれてきている事も強調。被災地が果たすべき役割に言及されました。
二人が共通して述べたのは、風化させないためにBCP(事業継続計画)が必要で、それを企業だけでない社会の仕組みに落とし込む、SCP(ソーシャル・コンティニティー・プランニング)が不可欠だという点でした。
この対談は来年3月に発刊予定の、公明党宮城県本部「震災記録誌」に掲載します。
9月28日 国民体育大会に参加
東京都多摩地域を中心に行われる「第68回国民体育大会」の開会式に、宮城県選手団の本部役員として参加しました。
今回の国体は東日本大震災からの復興を支援すると共に、7年後の開催が決まった東京オリンピックへのスタートを切るという、意義ある大会になっています。
本県選手団は阿部騎手を先頭に堂々の入場行進を行いましたが、復興支援への御礼を書いた大きな横断幕を持って歩いたことから、場内のお客さんからは暖かい拍手を頂きました。
翌29日からは各競技が始まりましたが、私はボウリングと男子・女子の成年バレーボールを応援に行きました。
目標である総合15位目指しての活躍を期待したいと思います。
9月21日 保育所経営者の皆さんと意見交換
子供を産み育てやすい環境の整備については、公明党としてもまた私自身としても最優先課題の一つとして、日頃から問題意識を持って取り組んできていますが、この日は若松かねしげ参議院議員や仙台市議会議員のメンバーと一緒に、仙台市内で認可保育所を運営する皆さんから、子ども・子育て関連三法の制定に伴う、今後の事業の諸課題に関して意見交換を行いました。
国は認定こども園の普及促進を誘導していますが、施設整備などのハード面や、職員確保の困難さや処遇改善などといった、ソフト面でも課題や懸念があるように感じました。
県としても保育や幼児教育のニーズを的確に捕まえて、一層の環境整備をしていくことが急務ですので、しっかりと取り組んで参ります。
9月15日 大規模水耕施設を視察しました
東京ドームに匹敵する巨大な水耕施設 一昨年の大震災に伴う大津波で被災した仙台市東部の宮城野区。中でも蒲生地区の被災は甚大で、住居や工場群は基礎を残すのみとなり、広大な農地も津波で大きくえぐれたり海水に浸る等、果たして復興が出来るのかと感じる程でした。
仙台市が蒲生地区をはじめとする被災沿岸部を、「農と食のフロンティア推進特区」に指定したことを追い風に、被災農家5名が中心となって新しい日本農業のビジネスモデルを起こそうと、株式会社みちさきを設立。先頃日本有数の水耕栽培施設を建設し、トマト、イチゴ、葉物野菜を栽培する、最新鋭の設備を持つハウスをオープンさせたのです。
今後若い営農者がこのモデルを参考にし、海外へも輸出展開できうる新しい農業を展開するものと大きな期待が寄せられています。
9月8日 原発事故に伴う風評被害を調査
福島第1原発事故の影響で、宮城県も大きな被害が出ておりますが、中でも風評被害によるダメージは地域産業に計り知れない影響を及ぼしています。
この日は白石市の山間部で養殖業を営む、「杜のいわなや」を訪問し、代表の村井雄さんからお話を伺いました。
原発事故は、ここに来て汚染水の漏洩事故が相次いで報道され、依然として厳しい視線が注がれていますので、「風評」が長期化する懸念も持たれています。
それに加えて問題なのは、東京電力による損害賠償への姿勢です。被害者側の申し立てに対しては、紛争解決センターへ相談することを勧めるのみで、加害当事者としての配慮や責任感に乏しいと言わざるを得ません。
健康への影響についても、目に見えない放射線のことですから、心配するのが当たり前であり、東電及び行政も最善の手を尽くして住民不安の払拭に努める事が必須です。
村井さんは自ら東電と交渉してきたことを踏まえ、行政に対し問題点を指摘されてきました。私も今議会の一般質問で取り上げる予定です。
8月29日 福島県の飯舘村を視察しました
除染の完了は延期される見込みらしい除染活動現場でさ線量は毎時3マイクロシーベルト超という高さ 福島原発事故によって全村避難になっている、福島県飯舘村で除染現場を調査しました。
石巻専修大学の高崎教授が取り組んでいる実証事業なのですが、放射性物質を如何に低減させ、避難している皆さんを故郷に戻すことができるか、東大や名古屋大学との共同研究の事業です。
詳しくは別の機会に報告しますが、広大な面積の除染がいかに困難な事なのか、除染で排出した汚染物質の処理が非常に厄介であること等、改めて実感するとともに、国が責任を持って除染作業をやり遂げ、地域を再生させることが重要であることを痛感させられました。
7月23日~25日 特別委員会の県外調査を行いました
浦添総合病院では自主財源でドクターカーを運用している沖縄県立中部病院の松本院長先生と兵庫県での聴取と質疑
私が委員長を務める「医療問題調査特別委員会」では、医師・看護師確保対策や、地域医療の偏在についての諸課題。さらにはメタボリックシンドロームや救急医療の課題など、医療を取り巻く問題点を調査研究し、宮城県の医療行政の向上に資するべく活動しています。
今般は沖縄県の浦添総合病院において、ドクターヘリの運用をはじめ、救急医療全般を調査して参りました。
また沖縄県立中部病院では、全国から集まる多くの研修医によって、24時間365日急患を断らない体制が出来ており、その研修医達が僻地や離島の医療を担っている事も伺うことが出来ました。
また沖縄県と兵庫県における医師確保対策を聴取し、3日間の県外調査を有意義に行うことが出来ました。
6月30日 いのちを守る森の防潮堤の植樹祭に参加
本日午後、太田昭宏国土交通大臣を迎え、国交省、宮城県、岩沼市などが主催し、津波被害の大きかった仙台空港近くの海岸において、森をつくって津波からいのちを守る、「いのちを守る森の防潮堤」の植樹が行われました。
これは宮脇昭横浜国立大学名誉教授が提唱する、広葉樹を密植することで、自然にできた森が防潮堤の役割を果たすというものです。
この日はタブノキ、シラカシ、シロダモなど17種の広葉樹を、約7千本植樹。宮脇先生は「コンクリートは寿命が数十年だが、森の防潮堤は数千年に及ぶ」と力説。私も大きな森へ成長するように願いつつ、ショベル片手に苗木を植えました。
こうした防潮堤づくりは、各省庁が決めきれなかった事を、太田大臣の政治決断で実行できた、日本ではじめての取り組みです。
6月9日 防災訓練に参加しました
朝から地元の連合町内会の防災訓練にきています。
600人もの住民が参加して、消火器での消火訓練やAED実技、発電機操作やアルファ米の炊き出しなど、いざ本番を想定して真剣な訓練が行われています。
少年防火クラブの子供たちが炊き出しのお手伝いをしたりして、家族総出で有意義な訓練をしています。
5月26日 仮設住宅のアンケート調査を行いました
これまで公明党宮城県本部としては、過去2回に渡って仮設住宅にお住まいの皆さんからアンケートを頂き、お風呂の追い炊き機能の追加工事や物置の設置など、仮設住宅の住環境を推進してきましたが、今回第3回目となる調査を県内全域の住宅で行っており、6月中に取りまとめた上で国や県に対して申し入れを行うことにしています。
この日私が伺った扇町1丁目住宅には約100戸の住宅がありますが、自治会を立ち上げることが出来ず、サポートセンターの皆さんが何かと支えて下さっている場所です。
一刻も早く仮設を出て公営住宅の入居を望む声や、反対に住居のめどが立つまでは出来るだけ長く入っていたいという方もいて、そのニーズの多様さを改めて実感致しました。
少しでも早く生活の再建が為されるよう、しっかりと支えていきたいと思います。
5月19日 マンション防災セミナーを行いました
公明党宮城県本部主催による「マンション防災・減災セミナー」を開催。東日本大震災で浮き彫りになったマンションの防災体制や、住民同士の繋がりの薄さなど、今後対策が必要なテーマに関して有意義な勉強が出来ました。
講師には、NPO法人東北マンション管理組合連合会の紺野常務理事と、一般社団法人宮城県マンション管理士会の高橋会長を迎え、震災時の実例と体験に基づく示唆に富んだお話を伺うことが出来ました。
我が党はマンション管理適正化法の成立に尽力すると共に,新たな「マンション再生基本法」ついても業界の皆さんと意見を交わしています。
津波被害だけでない多様な支援が必要だと言うことを、今セミナーで改めて実感しました。
5月12日 室内練習施設のセレモニーが行われました
仙台市宮城野区の沿岸地域では、一昨年の大津波によってグランドが失われたり、野球場が廃棄物の処理場になったりと、子どもたちが野球の出来る環境が失われていました。
そんな折、昨年夏に福岡県に本社を置く新日本製薬(株)さんから、被災地に役立てて頂ければということで義援金のお申し出があり、それを原資に一般社団法人「仙台とどけ隊」さんが室内練習施設を企画。天気や時間を気にせずに思い切り野球を楽しんで欲しいと、ビニールハウスで建てた練習施設「ヒッティングハウス蒲生」が完成したものです。
この日のセレモニーには新日本製薬の後藤社長はじめ、軟式野球日本代表の塩見監督や関係企業の皆様、さらには地元町内会の
代表の方にもご参加頂いて開催。私も今回のプロジェクトにいろんな形で関わってきましたので、子ども達の喜ぶ笑顔がみれて本当に嬉しいです。
ソフトバンクホークスの王貞治会長からのメッセージには、子ども達全員が聞き入っておりました。またセレモニー終了後には軟式野球日本代表による野球教室も行われ、エアでボールを浮かせるヒッティングマシーンを使って、少年野球の選手達が楽しそうに練習していました。
※ヒッティングハウスの問い合わせ・申し込みは 一般社団法人仙台とどけ隊 022(387)5011
4月7日 野球の室内練習場が出来ました
ヒッティングハウス蒲生の場所は仙台市宮城野区蒲生鍋沼37 県道塩釜渡線沿いです 一昨年の大震災と津波の被害によって、それまでグランドや公園だったところに仮設住宅が建ち並び、子ども達の野球やサッカーの施設が不足していました。
そんな折、公明党の遠山清彦衆議院議員を通じて、福岡に本部を置く(株)新日本製薬さまが、被災3県で様々な支援を行う団体に対し義援金を託す考えがあることを伺い、宮城県の寄贈先として私の友人藤岡氏が主宰する一般社団法人仙台とどけ隊を推薦しました。
その結果彼らが企画した、被災した子ども達のためにビニールハウスの室内練習施設を建てる計画が評価され、寄付をお受けしてこの度の開設となったのです。
ハウス内はネットが張られ、ピッチングや守備練習はもちろん、エアで球を浮かせるヒッティングマシンで打撃練習も出来ます。
開設初日は県内唯一の女子軟式野球クラブ「宮城ドリームガールズ」さんが、雨の中室内で練習。男子顔負けの鋭いスイングで快音を響かせていました。
このハウスの管理は仙台とどけ隊が行っていますので、利用されたい団体は下記の連作先へお願いします。
- 一般社団法人仙台とどけ隊
- 仙台市宮城野区高砂1-30-9(会津通商株式会社2F)
- TEL&FAX022(387)5011
3月21日 東松島で意見交換会を行いました
東松島市の野蒜地区は、美しい海水浴場と風光明媚な地区として、多くの観光客等で賑わっていた場所でした。
しかし一昨年の震災の影響で海水浴は出来なくなり、付近一帯がひどく地盤沈下したことから、大潮や大雨の際に東名運河の水が堤防を越え、地域が浸水する恐れも高まっていました。さらには上流部と下流部の2つの水門が壊れ、水門を閉じたままにしていたことで水が濁り、悪臭や環境への負荷を訴える住民も多くおられます。
そこで東名運河流域の住民の皆さんを招き、国土交通省と県の土木事務所、東松島市の各行政機関も交えて、公明党主催で意見交換会を行いました。
地元の佐藤きょうこ市議会議員と二人で対応し、行政機関には住民からの質問にも答えて頂き、有意義な会合になりました。
3月12日 みやぎ機能性食品研究会(通称:ミッフル)を設立
Mifflの役員。私は副会長で左隣が会長の池田正明氏。 昔から「医食同源」という言葉があるように、食それ自体に医学に通ずる機能があり、その力に着目して人間の健康や要望医学に役立てようと、近年注目されているのが「機能性食品」です。
私は今回の震災以降、津波で壊滅的な被害を被った宮城県の生産地帯や、原発事故による風評で被害を受けている生産者を、何とかして支援できないかと考えてきましたが、単に物産展で県産品を販売するだけでは、抜本的な支援には通じないと考え、宮城県産の豊かな食材に備わる優れた機能性にスポットを当て、それを引き出し付加価値を高めることによって、新たな「宮城ブランド」を創出して産業の活性化に寄与できないかと考え、今回の研究会設立に至り、この日設立準備会を役員で行いました。
会の名前は、Miyagi functional foods laboratory =通称 Miffl 《ミッフル》=です。今後年数回の定例会とともに、研究成果や新商品などを発表していきたいと考えています。
3月 語り部タクシーについて協議
東日本大震災の経験と教訓を語り継ぎ、後世へ役立てる事業の一環として、震災「語り部タクシー」という取り組みが始まっています。
この事業は仙台中央タクシーさんが発案し、NPO連携「宮城復興支援センター」がドライバーへの講習会を担当。一定時間の研修を受けた後、試験に合格したドライバーに「語り部」の認定が出されるという仕組みです。
現在までに120名の語り部ドライバーが誕生し、県内外からのお客さんに対し、震災直後の悲惨な状況や今に至るまでの復興の歩みなど、ポイントを案内して説明をしています。
4月からは仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが始まり、今以上に県外からの観光客が訪れますので、語り部のスキルアップと事業の周知・広報が重要になります。
この日は件タクシー協会の幹部と、仙台中央タクシーの神田常務さんが来室され県執行部と意見交換。私もこうした取り組みをしっかり支えていこうと思います。
3月10日 公明党「東北復興会議」を開催しました
会場の一角で宮城名産の牛タンと牡蠣をふるまう山口代表から3年目への方針が示された 東日本大震災から2年の節目に当たって、山口那津男公明党代表を仙台市に迎え東北復興会議を開催しました。
この会議には衆・参国会議員22名と、岩手・宮城・福島の全地方議員の他、青森・秋田・山形の代表が一同に会し、震災から3年目に向けて復興の加速化を確認するものになりました。
青年局と女性局からそれぞれ宣言文が発表され、全会一致で採択された後、山口代表が公明党の戦いによって復興を加速させようと呼びかけられました。
最後に若松かねしげ東北副議長が,新生東北復興宣言を高らかに読み上げ、総員の賛同の拍手で幕を閉じました。
復興へ正念場の25年度へ、私も全力を傾注して働いて参ります。
2月17日 軟式野球日本代表の皆さんが野球教室を開催
汐見監督とこの選手は元プロ野球選手 私が日頃からお付き合いをしております、一般社団法人仙台とどけ隊が企画して野球教室が実現の運びとなりました。会場は宮城野区内の岡田小学校で、地域の少年野球チームから約80人の子ども達が参加。
ジャパンの選手から熱い指導を受けて嬉しそうです。
選手の皆さんは社会人ですが、中にはプロ野球で鳴らした選手や元甲子園球児もいて、現在国際大会3連覇中の強豪です。
被災した子ども達が無心に白球を追い、嬉々として走り回る姿は何ともほほえましく、我々大人達が元気を貰えます。
選手は夕方からバスで帰京し、明日は通常の勤務だそうで頭が下がります。
2月 復興交付金(市町の独自支援への追加交付)が実現
これまで様々な理由から国からの財政的支援を受けられなかった被災者がおられ、その分は市や町が独自に支援するケースがあったのですが、それでは自治体の財政力で格差が生まれ、公平に被災者を支援できないという課題がありました。
私も議会の質疑で取り上げたり国へ要望を重ねてきましたが、この度ようやく復興まちづくりを支援するため追加の交付金が決まったものです。
詳細については今後市町の検討を待つことになりますが、災害危険区域から外れた浸水区域での一定の補助が可能になる他、災害危険区域指定以前に個人で移転した方や、住宅を修繕して住んでいる方へも支援が出来る可能性があります。
2月13日 放射性物質に汚染された牧草の問題で懇談
伊藤県議と山田,横山の両大崎市議が同席 一昨年の福島第1原発の事故によって、多量の放射性物質が大気中に放出され、広範囲で深刻な被害がでていますが、本県では農林水産物への風評被害に加え、稻わらや牧草が汚染したため肉牛に与えることが出来ず、農家の納屋やパイプハウスにうず高く積まれたままで、今年新たに刈り取る牧草の保管場所がない状態です。
参加された皆さんからは、県が減容化するためのペレット化事業に取り組むべき事や、仮設の焼却施設の建設を求める声などが出されました。
8,000ベクレルを下回るものは一般廃棄物として、普通のゴミなどと一緒に燃やして構わないのですが、灰になることで放射能が濃縮されることから、周辺住民の理解が得られていません。また今後一時保管場所へ集積することになっていますが、最終的な焼却や埋設の予定が立たないことから、一時保管が長期化するのではという懸念が強まっているのです。
課題解決のために県が果たす役割は大きく、牧草のペレット化による減容と、焼却施設の設置などを訴えていきたいと考えています。
2月6日 雄勝の仮設診療所を視察しました
石巻市の雄勝病院は先の大津波で壊滅し、沢山の医療従事者や患者さんが犠牲となりました。
その後仮設で診療所が開院されることとなり、小倉先生が単身神戸から赴任されてきたのです。
医師は小倉先生一人で看護師が5人体制ですが、一般の外来以外にも近接する特養ホームの回診業務や訪問診療などもこなし、一人何役もの重責を担って働いておられます。
小倉先生からは「県や市において病院と診療所との連携がもっとあるべき」「真剣に地域医療を考えないとますます過疎が進む」等の意見を伺いました。
都市部ではないこうした郡部での医療提供体制の構築が、宮城県が早急に確立すべき課題であると思いました。
1月22日 NPO法人まきばフリースクールを訪問
栗原市高清水を拠点に「引きこもり支援」などの活動を展開する、特定非営利活動法人まきばフルースクールさんを訪問し、武田和浩理事長さんはじめ職員の皆さんと意見交換をしました。
ここにはフリースペースで個別学習やゲーム、田植え・稲刈りなどを行う居場所づくり支援や、介護・野菜作り・被災地支援を通しての就労訓練。
制度の狭間で支援を受けられない自立困難な方の生活の場としての受け皿など、多岐にわたって活動されています。
近く県内にひきこもり地域支援センターが設置されますが、まきばさんのようにノウハウとスキルのある法人が参画できるよう、私としてもサポートしていきたいと思っています。